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史学(日本史学・考古学)
日付だけで年の書かれていない戦国時代の手紙、柱の根元の年輪が教えた聖武天皇の宮の場所、「人は住めない」とされた赤土から出た石器。史学や考古学では、高校の日本史で覚えた時代の流れが、資料の年代を決める手がかりになります。

ひとことで言うと
日付のない写真の、撮った年を当てる
アルバムに日付のない写真があっても、写っている家族の年齢や服、車の形から、だいたいの年が分かります。史学や考古学も同じです。手紙の中身や木の年輪、土の層を手がかりに、資料がいつのものかを確かめてから、歴史を考えます。

01
古文書を読む → 史学の演習: 年の書かれていない手紙の年を当てる
広島県立文書館の解説によると、中世の手紙は、日付を書いても年までは書かないことが圧倒的に多いそうです。では、手紙がいつ書かれたのかは、どうやって分かるのでしょうか。
文書館が紹介する、戦国大名の毛利氏に仕えた児玉元良(こだま・もとよし)の手紙は、日付が「7 月 22 日」だけです。手紙には、元亀 2 年(1571 年)の正月に、毛利元就(もうり・もとなり)から官職の名を与えられた人物が出てきます。そこで、書かれたのはそれより後だと分かります。
さらに手紙は、「上意」(主君の考え)として銭 10 貫文が与えられたことを伝えています。文書館は、この上意を元就のものとみています。元就は同じ年の 6 月 14 日に亡くなっているので、手紙は元亀 2 年 7 月 22 日に書かれたと推定できます。人物の亡くなった日も、年を決める手がかりになるのです。
差出人の名の下に書く花押(かおう)も手がかりです。花押は 10 世紀ごろに始まり、今も使われているサインの一種です。東京大学史料編纂所は、1901 年から『大日本史料』を刊行しています。887 年から 1867 年までの出来事を史料とともに年代順に並べる本で、今も編纂が続いています。その作業で写し集めた花押約 2 万 6,000 件も、データベースで公開しています。
人物の官職や亡くなった日を突き合わせると、日付だけの手紙の年が分かります。
図解日付だけの手紙の年を推定する(例)
- 1登場する人物が官職の名を得たのは元亀 2 年の正月
- 2銭を与えると決めた「上意」は毛利元就のもの
- 3元就は元亀 2 年 6 月 14 日に亡くなった


02
年代を決める → 年代学: 柱の根元の年輪が、聖武天皇の宮の場所を教えた
742 年、聖武天皇は近江国の紫香楽(しがらき、今の滋賀県甲賀市)に離宮を造り始めました。翌 743 年には、ここで大仏を造る詔(みことのり)を出しています。日本史探究でも学ぶ紫香楽宮(しがらきのみや)です。
長い間「紫香楽宮跡」と呼ばれてきたのは、丘の上に残る礎石(建物の土台の石)の群れでした。ところが、礎石の並び方は寺の建物の配置を示していました。宮は、本当はどこにあったのか。手がかりは、やや北の宮町地区の遺跡から出た、柱の根元の木でした。
1985 年、この木は年輪年代法によって、743 年に切られたものと確かめられました。高 2 のページで紹介した、法隆寺の心柱の年代を決めたのと同じ方法です。その後の発掘で、宮町遺跡こそが本当の紫香楽宮の跡だと分かりました。年輪の年代が、遺跡の正体を明らかにするきっかけになったのです。
年輪のない物には、放射性炭素(炭素 14)による年代測定が使われます。国立歴史民俗博物館の研究チームは、最も古い弥生土器に付いた炭化物を測りました。そして、九州北部で水田稲作が始まったのは紀元前 10 世紀末ごろと推定しました。それまでの定説だった紀元前 3〜4 世紀から、約 500 年さかのぼる年代です。
自然科学の方法で年代が分かると、遺跡や時代の見方が変わることがあります。
図解年代を決める 2 つの方法
年輪年代法
- 年輪の幅の並びを基準と照らし合わせる
- 木が切られた年まで分かることがある
- 例: 宮町遺跡の柱の根元(743 年)
炭素 14 による測定
- 炭素 14 の減り方から年代を測る
- 土器に付いた炭化物でも測れる
- 例: 弥生時代の始まりの見直し


03
考古学: 「人は住めない」とされた赤土から、石器が出た
群馬県みどり市の岩宿(いわじゅく)遺跡は、日本列島の歴史の始まりを書きかえた遺跡です。見つけたのは、納豆の行商をしながら考古学を研究していた相沢忠洋(あいざわ・ただひろ)です。1946 年、道の切通しの崖で、赤土(関東ローム層)の中に黒曜石のかけらを見つけました。
関東ローム層は、火山灰が積もってできた層です。当時は、人が住めなかった時代の層と考えられ、発掘されていませんでした。相沢は 1949 年の夏、この層から黒曜石の石槍を見つけます。同じ年の 9 月、明治大学が発掘調査を行い、土器を伴わない石器を層の中から掘り出しました。
それまでの考古学界には、縄文時代より前の日本列島に人が暮らした跡はない、という定説がありました。岩宿遺跡はこれをくつがえし、日本の文化が旧石器時代までさかのぼることを初めて示しました。遺跡は 1979 年に国の史跡になり、出土した石器は重要文化財になっています。
考古学では、火山灰の層が時計の役目も果たします。鹿児島湾の奥の姶良(あいら)カルデラで約 3 万年前に起きた巨大な噴火の火山灰は、東北地方まで降り積もりました。この火山灰の層との上下を比べると、遠く離れた遺跡どうしでも、どちらが古いかを考えられます。旧石器時代の遺跡の年代を並べるときに、よく使われる手がかりです。
「ここには何もない」という思い込みを、1 つの発見がくつがえすことがあります。
図解岩宿遺跡が歴史を書きかえるまで
- 11946 年相沢忠洋が赤土の中に黒曜石のかけらを見つける
- 21949 年 夏赤土の層から黒曜石の石槍を見つける
- 31949 年 9 月明治大学が発掘し、土器のない石器が出る
- 41979 年国の史跡に指定される
- 52026 年 10 月岩宿博物館がリニューアルオープン

04
史学に進むなら: 高校で選んでおきたい科目
史学科や考古学の専攻は、文学部に置かれていることが多くあります。多くの大学では、1・2 年生のうちに古文書や史料の読み方、発掘の方法を学びます。3 年生ごろからゼミに入り、卒業論文に取り組みます(学科の名前や進み方は大学によって異なります)。
高校では、日本史探究を選んでおくと、資料が作られた時代の背景がすぐに思い浮かびます。古代や中世の資料は漢文や古文で書かれているので、古典探究も大切です。東アジアとの関わりを考えるなら世界史探究、年代測定や土の分析に関心があるなら化学や地学も役に立ちます。
入試の科目は大学によって違うので、志望校の募集要項で確かめてください。史学を学んだ人は、博物館の学芸員、自治体の文化財の専門職員、社会科の先生、公文書館のアーキビストなどとして働いています。
史学の面白さは、日付だけの手紙や柱の根元の木から、教科書の年表を自分で確かめ直せることです。文学部で学ぶ分野は、このサイトの大学の学問「文学」のページで紹介しています。
日本史探究と古典探究を土台に、関心に合わせて世界史や理科を組み合わせると力になります。
高校生のうちに試せること
手紙の年を推定する筋道をたどる
広島県立文書館の解説で、児玉元良の手紙の写真と説明を読みましょう。どの手がかりから年を絞り込んだのかを、順番に書き出すと、史学の推理の進め方が分かります。
広島県立文書館「年未詳 7 月 22 日付け児玉元良書状」花押データベースで、武将のサインを見比べる
東京大学史料編纂所の花押データベースは、人名や年月日から花押を探せます。知っている戦国武将の名前で検索し、同じ人物の花押をいくつか並べて見比べましょう。
東京大学史料編纂所「花押データベース」岩宿博物館で、赤土から出た石器を見る
群馬県みどり市の岩宿博物館は、2026 年 10 月に展示を新しくしてリニューアルオープンしました。岩宿遺跡の石器を見たら、教科書の旧石器時代のページと見比べましょう。開館日や入館料は公式サイトで確かめてください。
みどり市岩宿博物館
「史学(日本史学・考古学)」に関連するコミュニティ
研究室・部活・サークルなど、全国の 116 件から探せます。

考古学研究室
熊本大学(熊本県)
文学部 歴史資料学コース・考古学
発掘調査を基礎に、出土した「モノ」から昔の人の生活と歴史を復元する。
考古学分野
広島大学(広島県)
人間社会科学研究科 人文学プログラム・考古学・有松 唯 教授
西アジアの国家形成や弥生・古墳時代の社会などを、考古学の手法で研究している。
日本史学分野
広島大学(広島県)
人間社会科学研究科 人文学プログラム・日本史学・殷 暁星 助教
民衆教化や戦国大名など、地域と東アジアの視点から日本史を研究している。
考古学研究室
岡山理科大学(岡山県)
環境年代学研究室
立正大学(東京都)
考古学研究室
別府大学(大分県)
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よくある質問
史学と考古学は、何が違いますか?
史学(文献史学)は、手紙や日記などの文字の資料から歴史を考えます。考古学は、遺跡や土器、石器などの物から歴史を考えます。岩宿遺跡のように、文字のない時代まで調べられるのが考古学の強みです。両方を組み合わせて研究することもよくあります。
高校で日本史探究を選ばなかったら、史学科には進めませんか?
入試の科目は大学によって違うので、志望校の募集要項で確かめてください。入学後は、多くの大学で日本史の概説や史料の読み方の授業があり、時代の流れを学び直せます。
『大日本史料』は、どこまでできているのですか?
東京大学史料編纂所は、887 年から 1867 年までを 16 の編に分けて編纂しています。今は、江戸時代の初めにあたる第 12 編まで作業が進んでいます。織田信長の時代を扱う第 10 編は、31 冊を出して 1575 年まで進んでいます。