図 1 生物学の広がり生物学の広がり 1
分子・細胞
パン酵母も大腸菌もヒトも、細胞の中では DNA の情報をもとにタンパク質が作られ、働いています。そのしくみを分子の言葉で解き明かし、ゲノム編集のような新しい技術にもつなげる分野です。

ひとことで言うと
設計図を写して、部品を組み立てる工場
工場では、大切な設計図の原本を金庫にしまい、写しを作業場に回して部品を組み立てます。細胞も、DNA という原本から RNA という写しを作り、タンパク質という部品を組み立てます。古くなった部品を分解して、材料を使い回すしくみもあります。

01
細胞の中は、分子が働く小さな工場
生き物のからだは細胞でできています。細胞の中では、DNA にしるされた遺伝子の情報が RNA に写し取られます。その情報をもとに、タンパク質が組み立てられます。高校の生物基礎で学ぶ「遺伝情報の発現」です。
タンパク質は、酵素として反応を進めたり、細胞の形を支えたりする働き手です。分子生物学や細胞生物学は、どの分子が、いつ、どこで、どう働くのかを一つずつ確かめていく分野です。
大事なのは、このしくみが多くの生き物に共通していることです。だから、育てやすいパン酵母や大腸菌で見つけたことが、ヒトの細胞の理解にもつながります。次の 2 つの発見は、その代表的な例です。
DNA から RNA、タンパク質へという流れは、多くの生き物に共通です。
図解遺伝子からタンパク質ができるまで
- 1DNA遺伝子の情報をしまっておく原本
- 2RNA に写す必要な遺伝子だけを写し取る(転写)
- 3組み立てるリボソームがアミノ酸をつなぐ(翻訳)
- 4タンパク質酵素などとして細胞の中で働く

02
オートファジー: 細胞は自分を食べて、リサイクルする
文部科学省の資料によると、成人が食事からとるタンパク質は 1 日に約 60〜80 g です。ところが体の中では、毎日 200〜300 g のタンパク質が作られていると推測されています。足りない材料は、どこから来るのでしょうか。
答えの 1 つが、細胞が自分の中身を膜で包んで分解するオートファジーです。ギリシャ語で「自分を食べる」という意味です。分解してできたアミノ酸は、新しいタンパク質の材料やエネルギーに使われます。
大隅良典さんは 1988 年、東京大学で自分の研究室を持ち、パン酵母の「液胞」に注目しました。液胞は当時、細胞のごみためのように考えられていました。分解の酵素をなくした酵母を飢えさせて光学顕微鏡で見ると、液胞の中で小さな粒がたくさん動き回っていました。
大隅さんはその後、約 2,000 の変異株の中からオートファジーが起こらない株を見つけ、必要な遺伝子を突き止めました。2016 年にノーベル生理学・医学賞を受けています。ノーベル財団は、オートファジーの乱れがパーキンソン病や 2 型糖尿病などとも関係すると説明しています。
分解は、生き物が自分を作り直すための大切な働きです。
図解1 日のタンパク質の出入り
- 1体の中で作るタンパク質: 毎日 200〜300 g と推測
- 2差は、細胞のタンパク質を分解したアミノ酸で補う
- 3分解のしくみの 1 つがオートファジー


03
ゲノム編集: 細菌の免疫が、遺伝子のはさみになった
1987 年、大阪大学の石野良純さんたちは、大腸菌の遺伝子を調べる途中で、不思議な並びを報告しました。同じ配列が、間をあけて何度もくり返していたのです。当時は、その役割を予想できませんでした。のちに CRISPR(クリスパー)と名付けられる並びです。
2000 年代の半ば、CRISPR は細菌がウイルスから身を守る免疫のしくみだと分かってきました。感染したウイルスの DNA の一部を記録しておき、次に来たときに見分けて切るのです。
2012 年、シャルパンティエとダウドナは、狙った場所の DNA を切る方法を示しました。Cas9 というタンパク質に、行き先を示すガイド RNA を組み合わせるのです。2 人は 2020 年のノーベル化学賞を受けています。いまでは作物の品種改良や、遺伝する病気の治療の研究に使われています。
細菌の小さな謎が、生命科学の基本の道具に育ちました。
図解20 文字で、狙った場所を探せる理由
- 120 文字の並べ方は 4²⁰ 通り ≒ 1.1 × 10¹²(約 1 兆)
- 2ヒトの DNA は約 30 億文字(3 × 10⁹)
- 330 億 ÷ 1 兆 ≒ 0.003。偶然の一致はまれ


04
大学での学び方と、つながる仕事
多くの大学では、1・2 年で分子生物学・細胞生物学・生化学の基礎を学びます。実験の授業では、大腸菌や酵母を育てたり、DNA を取り出して長さごとに分ける電気泳動をしたりします。科目の名前や順番は大学によって異なります。
研究室では、扱いやすい「モデル生物」を使い、遺伝子の働きを一つずつ確かめます。酵母・大腸菌・ショウジョウバエ・マウス・シロイヌナズナなどです。遺伝子を組み合わせて新しい働きの細胞を設計する国際大会 iGEM に、学生チームで挑む大学もあります。
仕事では、医薬品・食品・化粧品のメーカーの研究開発や、検査や試薬の会社などにつながります。大学院に進んで研究者を目指す人も多い分野です。文部科学省の資料によると、大隅さんの研究室では、研究の最初に必ず光学顕微鏡で観察していたといいます。自分の目で確かめることを大切にする大隅さんは、「素朴な疑問を持ち続けることが大事だ」と若い研究者にエールを送っています。
高校生のうちに試せること
ドライイーストを顕微鏡で観察する
パン用のドライイーストを、砂糖を溶かしたぬるま湯に入れ、学校の顕微鏡で観察しましょう。芽を出すように増える細胞が見えたら、大隅さんが調べたのと同じ仲間の酵母です。時間をおいて何度か見ると、増えていく様子も分かります。
ガイド RNA の設計ツールにふれる
ライフサイエンス統合データベースセンターの CRISPRdirect は、ゲノム編集のガイド RNA を設計する無料のツールです。画面は英語ですが、最初から入っている例の配列で、調べるゲノムを選んで実行してみましょう。候補の並びと、ほかの場所に似た並びがないかを確かめられます。
CRISPRdirect(ライフサイエンス統合データベースセンター)大隅さんの研究の歩みを読む
文部科学省の資料に、大隅さんの研究を紹介する特集があります。液胞に注目したきっかけや、約 2,000 の変異株から 1 つを見つけた話を読み、自分ならどんな疑問から始めるかを考えてみましょう。
文部科学省「特集 2016 年ノーベル賞受賞、及び学術研究・基礎研究の振興に向けた我が国の取組」(PDF)
「分子・細胞」に関連するコミュニティ
研究室・部活・サークルなど、全国の 250 件から探せます。

光環境適応研究グループ
岡山大学(岡山県)
資源植物科学研究所・植物分子生物学・坂本 亘 教授
強い光による光合成の障害から植物が身を守る仕組みや、葉緑体の維持・DNA代謝の仕組みを解析する。
エピゲノム構造動態研究室
千葉大学(千葉県)
理学部 生物学科・エピジェネティクス・越阪部晃永
分子から植物個体まで横断的に調べ、動くDNAであるトランスポゾンの仕組みを解明する。
細胞ダイナミクス科学研究室
北海道大学(北海道)
細胞生物学・芳賀 永 教授

臨床遺伝子医療学分野
岡山大学(岡山県)
医歯薬学総合研究科 医学系講座・遺伝医学・平沢 晃 教授
遺伝情報にもとづくがんや難病の診断・治療・予防のため、解析技術や倫理面も含めて研究する。
植物分子細胞生物学
筑波大学(茨城県)
生物学・三浦 謙治
蛋白質代謝学教室
東京大学(東京都)
薬学系研究科・生物薬科学・村田 茂穂 教授
よくある質問
分子生物学と生化学は、どう違うのですか?
どちらも生命を分子から理解する分野で、重なる部分が大きくあります。生化学は酵素の反応やエネルギーの流れなど化学の面から、分子生物学は DNA や遺伝子の働きの面から調べることが多いと説明されます。多くの大学では両方を学びます。
ゲノム編集は、人に使ってもよいのですか?
ノーベル財団の解説によると、血液の病気などの治療で臨床試験が進んでいます。一方で、子どもに受け継がれる形でヒトの遺伝子を変えることは法律や規則で禁じられ、人や動物を使う実験は倫理委員会の審査を受けます。技術と一緒に、使い方のルールも学びます。
実験の経験がほとんどなくても大丈夫ですか?
大学の実験の授業は、ピペットや顕微鏡の使い方など基本から始まります。高校で顕微鏡観察や DNA を取り出す実験をしたことがあれば十分な準備になりますが、経験がなくても授業の中で身につけられます。
出典
- The Nobel Prize「The Nobel Prize in Physiology or Medicine 2016 - Press release」
- 文部科学省「特集 2016 年ノーベル賞受賞、及び学術研究・基礎研究の振興に向けた我が国の取組」
- Ishino Y. ほか「History of CRISPR-Cas from Encounter with a Mysterious Repeated Sequence to Genome Editing Technology」(Journal of Bacteriology、2018 年)
- The Nobel Prize「The Nobel Prize in Chemistry 2020 - Popular information」
- バイオサイエンスデータベースセンター「ゲノム編集技術で活躍する CRISPRdirect」

