図 1 日本史の広がり日本史の広がり 3
近世
織田信長・豊臣秀吉による統一から、江戸幕府の時代までを学ぶ領域です。土地と人を帳面に記すしくみ、海外との行き来の管理、日本中を歩いてつくった地図。今の社会につながる土台の多くが、この時代にできました。

ひとことで言うと
新学期に、名簿と座席表ができる
新学期に名簿と座席表ができると、誰がどこにいるかがはっきりし、係決めや連絡がしやすくなります。近世の日本でも、検地帳で田畑と耕す人が記録され、地図で国の形が描かれました。それが政治や暮らしのしくみの土台になったのです。

01
検地と刀狩: 「大仏の釘にする」と集めた刀、でも村に武器は残った
日本史探究の近世は、織豊政権の政治・経済の政策から始まります。学習指導要領の解説は、「太閤検地や刀狩りなどが実施された背景や、その意義は何だろうか」という問いを例に挙げています。
豊臣秀吉は 1582 年ごろから、全国で田畑を測る太閤検地を進めました。測り方や枡の大きさをそろえ、田畑の広さと収穫の量(石高)を検地帳に記したのです。1 区画の田畑ごとに耕す人を 1 人決めて登録し、年貢を納める責任を負わせました。
1588 年には刀狩令を出し、百姓から刀や脇差、弓、槍、鉄砲を集めました。集めた武器は、京都の方広寺に建てる大仏殿の釘やかすがいに使う、と説明しています。一方で、奈良の興福寺の僧は、本当の狙いは一揆を止めることだという世間のうわさを日記に書き残しています。
ただし、刀狩で村から武器が消えたわけではありません。日本大百科全書は、民間の武器がなくなった事実はなく、村や人々が刀や鉄砲などを持つことは認められていたと説明しています。政策の名目と、実際に起きたことを分けて考えると、見え方が変わります。
政策の名目と結果を分けて確かめるのが、資料を読むコツです。
図解太閤検地と刀狩
太閤検地
- 1582 年ごろから全国で
- 測り方と枡の大きさをそろえる
- 耕す人を検地帳に登録する
刀狩令
- 1588 年に出される
- 名目は大仏殿の釘・かすがい
- 村に武器は残ったとする説明も


02
貿易の統制: 「鎖国」という言葉は、当時なかった
江戸時代の初め、幕府の朱印状を持った船が東南アジアへ渡りました。朱印船貿易です。1604 年から 1635 年までに、少なくとも 350 隻あまりが海を渡ったとされます。行き先はルソン(フィリピン)やシャム(タイ)、今のベトナムなどで、各地に日本人が住む日本町もできました。
その後、幕府は海外との行き来を絞っていきます。1635 年には、日本の船が海外へ行くことも、海外にいる日本人が帰ってくることも禁じました。学習指導要領の解説は、「江戸幕府はなぜ、貿易を統制する必要性を感じたのであろうか」という問いを例に挙げています。
それでも、外とのつながりは続いていました。長崎では中国やオランダと、対馬藩は朝鮮と、薩摩藩は琉球と、松前藩はアイヌの人々と行き来がありました。この 4 つの窓口は「四つの口」と呼ばれます。
実は「鎖国」という言葉は、幕府が行き来を絞ったころにはありませんでした。1801 年、長崎の通詞(通訳)の志筑忠雄が、ケンペルの『日本誌』の一章を訳し、『鎖国論』と名づけたのが始まりとされます。言葉が生まれた時期を知ると、学習指導要領の解説が「いわゆる鎖国」と書く理由が見えてきます。
言葉や制度がいつ生まれたかを確かめると、時代のイメージが正確になります。
図解江戸時代の「四つの口」
- 長崎幕府が直接治め、中国・オランダと交易
- 対馬藩朝鮮との外交と交易を担う
- 薩摩藩琉球と行き来する
- 松前藩アイヌの人々と交易する


03
学問の発展: 50 歳から学び直し、日本中を測った伊能忠敬
近世には、学問や文化も大きく発展します。その例の 1 つが、日本で初めて実際に測ってつくった日本地図です。つくったのは、下総国佐原(今の千葉県香取市)の商家の主人だった伊能忠敬です。
忠敬は家業を譲って隠居したあと、50 歳で江戸に出て、幕府の天文方の高橋至時に学びました。19 歳年下の先生です。2 人は、地球の正しい大きさを知るために、緯度 1 度の長さを測ろうと考えました。
測量は 1800 年、忠敬が 55 歳のときに蝦夷地(今の北海道)から始まりました。71 歳の 1816 年まで 10 回にわたって測量を続け、歩いた距離は地球 1 周を超えたとされます。忠敬は 1818 年に亡くなり、1821 年に「大日本沿海輿地全図」が完成して幕府に納められました。
伊能図は、明治に入ってからの地図づくりにも生かされました。50 歳から新しい学問を始めた人が、日本の地図の歴史を大きく進めたのです。
測量の目的と方法を知ると、地図そのものが歴史の資料として読めるようになります。
図解伊能忠敬の歩み
- 150 歳江戸に出て、高橋至時に学ぶ
- 255 歳・1800 年蝦夷地の測量を始める
- 371 歳・1816 年10 回目の測量を終える
- 41821 年大日本沿海輿地全図が完成


04
大学では: 村に残る帳面から、人々の暮らしを数える
学習指導要領の解説は、近世の資料の例として「検地帳」や「宗門人別帳」を挙げています。宗門人別帳は、村ごとにつくられた戸籍のような帳面です。家ごとに家族や奉公人の名前と、それぞれの檀那寺が書かれています。
大学の日本近世史のゼミでは、村に残る古文書を読み、帳面の数字を何十年分も集めて、村の人口や家族の変化を調べることもあります。こうした帳面は、人口の歴史を調べる研究の基礎資料にもなっています。
近世の古文書は、全国の旧家や役場、寺などに数多く残っています。市町村史をまとめる仕事や、資料館の学芸員として、それを整理して読み解く人たちがいます。
年号の暗記が苦手でも大丈夫です。検地から刀狩、四つの口まで、「なぜその政策が必要だったのか」をつなげて説明できれば、年号は後から自然に結び付いていきます。
高校生のうちに試せること
伊能図と今の地図を比べる
香取市の伊能忠敬記念館のサイトで、展示の内容と伊能図を見ましょう。住んでいる地域や好きな海岸の形を、今の地図と見比べると、200 年前の測量の正確さが実感できます。
香取市「伊能忠敬記念館 常設展示」「四つの口」を白地図に書き込む
日本とその周りの白地図に、長崎・対馬・薩摩・松前を書き込み、それぞれの相手(中国・オランダ、朝鮮、琉球、アイヌの人々)と線で結びましょう。線の上に、やり取りした品物を調べて書き足すと、江戸時代の外とのつながりが一目で分かります。
地域の資料館で、検地帳や村の古文書を探す
市町村の歴史資料館や郷土資料館には、検地帳や村の古文書が展示されていることがあります。展示の説明から、村の田畑の広さや家の数を書き出し、今の町の人口と比べてみましょう。
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よくある質問
江戸時代の日本は、外国と全く行き来がなかったのですか?
ありました。長崎・対馬・薩摩・松前の「四つの口」を通して、中国やオランダ、朝鮮、琉球、アイヌの人々との行き来が続いていました。「鎖国」という言葉も、1801 年に訳された本の題から広まったものです。
織豊政権と江戸幕府は、どこが同じでどこが違うのですか?
学習指導要領は、織豊政権との似ている点と違う点に目を向けて、近世の国や社会を考えるよう示しています。解説も、検地帳などの資料から、江戸幕府が豊臣政権から受け継いだ政策と、新しく始めた政策を読み取る学習を例に挙げています。
