大学カタログ

図 1 日本史の広がり日本史の広がり 2

中世

鎌倉幕府ができてから戦国時代までの、武士が政治を動かすようになった時代を学ぶ領域です。武士の法、海を越えて来たモンゴルの軍、東アジアの海を結んだ琉球、村の人々の一揆。その手がかりは、海の底や道ばたの石にも残っています。

海の底で古い木の船体を調べるダイバー、港で陶磁器のつぼや銅銭を数える人々、道ばたの石の地蔵を見つめる学生

ひとことで言うと

まとめ役が何人もいる文化祭の準備

文化祭の準備で、実行委員と部長と担任の先生がそれぞれ指示を出すと、誰に従えばよいか迷います。中世の日本も、それに似ていました。朝廷、幕府、大きな寺社、そして村の人々が、それぞれの力とルールで動いていたのです。

01

武家政権: 御成敗式目は「20 年」の重みを認めた

日本史探究の中世では、武家政権の成立と展開を、朝廷と幕府の関係の変化とともに学びます。鎌倉幕府が 1232 年に定めた御成敗式目は、武士のための法として知られています。全部で 51 か条です。

執権の北条泰時が中心となり、評定衆にまとめさせました。目的は、裁判を公平にし、その基準を御家人に前もって知らせることだったとされます。今の言葉でいえば、判断の基準を先に公開するしくみです。

条文はとても具体的です。第 8 条は、所領を 20 年間実際に支配してきたなら、事情を問わずそのままにする、と定めています。今の「時効」に近い考え方です。第 18 条は、親が娘に譲った所領を、仲たがいを理由に取り戻せるかを扱っています。娘にも所領が譲られていたことが、条文から分かります。

法の条文から、その時代の人々が何をめぐって争い、何を大切にしたかが見えてきます。

図解御成敗式目の条文をのぞく

第 8 条

  • 20 年支配してきた所領は
  • 事情を問わずそのままにする
  • 今の「時効」に近い考え方

第 18 条

  • 娘に譲った所領を
  • 親が取り戻せるかを定める
  • 娘も所領を受け継いでいた

02

元寇: 海の底から、元軍の船と「てつはう」が見つかった

13 世紀、ユーラシアに広がったモンゴル帝国(元)の軍が、2 度にわたって九州に攻めてきました。1274 年の文永の役と、1281 年の弘安の役です。学習指導要領は、宋や元などユーラシアとの交流と、経済や文化への影響に目を向けるよう求めています。

長崎県松浦市の鷹島の沖は、弘安の役のときに暴風雨で数千隻の元軍の船が沈んだと推定される海です。海底の調査では、約 4,000 点の遺物が見つかりました。武器の「てつはう」、鉄のかぶと、大きな木のいかり、中国の陶磁器などです。

2011 年度の琉球大学の調査では、船の背骨にあたる竜骨と外板が残る船底が、長さ 12 m にわたって見つかりました。元軍の船のつくりが分かる発見です。翌年の 2012 年 3 月、この海は「鷹島神崎遺跡」として、海底の遺跡では全国で初めて国の史跡に指定されました。

てつはうは、御家人の竹崎季長の戦いを描いた絵巻『蒙古襲来絵詞』にも、爆発する様子が描かれています。絵巻の記録と、海の底の実物。2 つの資料を合わせると、戦いの姿がより確かに見えてきます。

文字の記録と、発掘された物を合わせると、出来事の姿がより確かになります。

図解元寇と鷹島の海底調査

  1. 11274 年 文永の役元の軍が初めて九州に攻めてくる
  2. 21281 年 弘安の役鷹島の沖で多くの船が沈んだとされる
  3. 32011 年度竜骨と外板が残る船底が見つかる
  4. 42012 年 3 月海底の遺跡で全国初の国の史跡に
白い展示台に並べられた、表面に小さな貝殻がこびりついた灰色の丸い弾 2 つ。左の 1 つは割れて、中が空洞になっている
鷹島の沖の海底から見つかった「てつはう」。中に火薬を詰めて使った武器と考えられています。長く海の底にあったため、貝殻が付いています。写真: 震天動地(CC BY-SA 3.0・Wikimedia Commons)

03

日明貿易と琉球: 「万国の津梁(架け橋)」と刻んだ鐘

室町時代の 1404 年、日本と明の間で、勘合を使った貿易が始まりました。勘合は、正式な使いの船であることを確かめるために、明が出した割符です。この貿易は、16 世紀の半ばまで続きました。

日本からは銅や硫黄、刀剣、扇などを運び、明からは銅銭や生糸、絹織物を持ち帰りました。日本では、明から来た銅銭がお金として使われていました。よその国でつくられたお金が、国内で使われていたのです。

同じころ、沖縄では 1429 年に尚巴志が北山・中山・南山の 3 つの勢力を統一したと伝えられています。琉球王国の誕生です。琉球は、船でアジアの国々と行き来する海の国として栄えました。

1458 年、尚泰久王は大きな銅の鐘をつくらせました。鐘には、琉球が船によって多くの国々の「かけ橋」となり、外国の産物や宝が国中に満ちている、という意味の言葉が刻まれています。「万国津梁の鐘」と呼ばれる、この鐘は、沖縄戦をくぐり抜けて今に残る重要文化財です。

交易の品やお金の流れから、日本と東アジアのつながりが見えてきます。

図解勘合貿易で行き来した品

日本から明へ

  • 銅
  • 硫黄
  • 刀剣・扇

明から日本へ

  • 銅銭
  • 生糸
  • 絹織物
博物館の展示室の台の上に置かれた、黒っぽい大きな銅の釣り鐘。表面に縦の区切りと、丸い突起の列がある
1458 年につくられた旧首里城正殿鐘(万国津梁の鐘)。沖縄県立博物館・美術館が所蔵する重要文化財で、表面には戦争で受けた傷も残っています。写真: Tanuki32(CC BY-SA 4.0・Wikimedia Commons)

04

村と一揆: 道ばたの石に刻まれた「借金はもうない」

中世の後半には、村の人々がまとまって自分たちで村を運営し、ときには領主に要求を突きつけるようになります。学習指導要領も、村落や都市の自立を学ぶ内容に挙げています。

奈良市柳生町の街道沿いには、「疱瘡地蔵」と呼ばれる石の地蔵があります。その右下に、4 行 27 文字が刻まれています。「正長元年ヨリ サキ者 カンヘ四カン カウニヲ井メアル ヘカラス」。

正長元年(1428 年)より前の借金は、神戸四か郷(春日社の領地だった 4 つの村)にはもうない、という意味です。1925 年に地元の研究者が、この年の土一揆を記念した碑文だという説を唱え、今はこの説が有力とされています。刻まれた時期については、諸説があります。

この碑文は 1983 年に国の史跡になり、法や経済の歴史の貴重な資料とされています。教科書の 1 行の出来事が、いつも通る道の石に刻まれていることもあるのです。

身近な石碑や地蔵も、歴史を考える手がかりになります。

白と黒のまだらな地に、縦書きのカタカナまじりの文字が 4 行浮かび上がった拓本
柳生の徳政碑文の拓本。石に紙を当てて墨で写し取ると、目では読みにくい文字も浮かび上がります。写真: 作者不詳(Public domain・Wikimedia Commons)

05

大学では: 古文書と絵巻と海の底から、中世を描き直す

学習指導要領の解説は、中世の学習の問いの例として、「なぜ、この時期の日本では、輸入貨幣が流通したのだろうか」を挙げています。年号を覚えることから入るより、こうした問いから入ると、出来事どうしのつながりが見えてきます。

多くの大学では、史学科の日本中世史のゼミで、武士や寺社に残る古文書を読みます。考古学では遺跡を、鷹島のような海の中の遺跡も含めて調べます。美術史では、『蒙古襲来絵詞』のような絵巻を読み解きます。

まずは近くの城跡や寺社、地域の石碑を訪ねてみてください。説明板の年号を、教科書の年表と照らし合わせるだけでも、中世がぐっと身近になります。

クイズ中世のクイズ

本文を思い出しながら答えてください。

  1. Q1御成敗式目の第 8 条で、そのままにすると定められた所領は?

  2. Q2鷹島神崎遺跡が 2012 年に国の史跡になったとき、全国で初めてだったことは?

  3. Q3奈良市柳生町の地蔵の横に刻まれた文字の内容は?

0 / 3 問に回答

高校生のうちに試せること

  • 柳生の徳政碑文を、奈良市の解説と拓本で読む

    奈良市の文化財のページで、碑文の読みと意味を確かめましょう。そのうえで、このページの拓本の写真と見比べ、どの文字がどこに刻まれているかを 1 字ずつ探してみてください。

    奈良市「正長元年柳生徳政碑」
  • 鷹島神崎遺跡で見つかった物を調べる

    長崎県の文化財のページで、鷹島神崎遺跡から出た遺物の一覧を読みましょう。武器、船の部品、陶磁器に分けて表にすると、海の底にどんな船が眠っていたかが想像できます。

    長崎県の文化財「鷹島神崎遺跡」
  • 万国津梁の鐘の銘文を読む

    沖縄県立博物館・美術館のサイトでは、鐘の銘文の意味や、戦争をくぐり抜けた歴史を紹介しています。琉球がどんな国だと自分たちを表したのか、言葉を書き出してみましょう。

    沖縄県立博物館・美術館「万國津梁の鐘プロジェクト」

「中世」に関連するコミュニティ

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よくある質問

中世は、いつからいつまでですか?

日本史探究では、古代から中世への転換を、貴族の政治の変化と武士の政治への進出、土地の支配のしかたの変化から考えます。始まりや終わりをどこに置くかは、研究者によって考え方が違います。その違いを比べること自体が、よい学びになります。

武士の時代になっても、朝廷はなくならなかったのですか?

なくなりませんでした。中世には、朝廷、幕府、大きな寺社などが並び立ち、それぞれが力を持っていました。日本史探究では、公家と武家の関係の変化に目を向けて、こうした中世の特色を考えます。