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図 1 世界史の広がり世界史の広がり 1

諸地域の成り立ち

古代文明が生まれてから、アジアや地中海のまわりに、それぞれ個性のある地域ができていくまでを学ぶ分野です。時計の「60 分」や日曜日の休みなど、今の暮らしの中にも、この時代から続くものが見つかります。

大河のほとりで丸い粘土板を手に取る大学生、土色の兵士の像が並ぶ坑を見下ろす高校生、密林の中の石の寺院を地図で確かめる大学生

ひとことで言うと

新しいクラスに「らしさ」ができるまで

4 月に集まったばかりのクラスも、夏までには決まりごとや流行が生まれ、そのクラスらしさができていきます。世界の地域も同じです。川や気候、となりの地域とのやり取りの中で、言葉や宗教、国のしくみなど「その地域らしさ」が形づくられました。

01

古代文明: 1 時間が 60 分なのは、メソポタミアの数え方から

世界史探究の最初の大きなまとまりが「諸地域の歴史的特質の形成」です。オリエント・インダス・中華の古代文明を学び、そのあとにできた各地域の特色へと進みます。

学習指導要領の解説は、古代文明では、自然環境と暮らしや文化のつながりを考えるよう求めています。そして、六十進法や暦のように、今にまで影響を与えているものを取り上げるとしています。六十進法は、60 ずつまとめて上の位に上げる数え方で、古代バビロニアで使われました。1 時間を 60 分、1 分を 60 秒とする時間の単位や、角度の分・秒は、これにもとづくと考えられています。

アメリカのイェール大学には、旧バビロニア時代の丸い粘土板が残っています。正方形と対角線の図に、60 進法で「1;24,51,10」という数が刻まれています。10 進法に直すと約 1.414213 で、2 の平方根とほぼ同じ値です。3000 年以上前の人が、ここまで細かく計算していたのです。

一方、インダス文明の文字は、今も読み解かれていません。ほかの言葉と並べて書いた資料や、長い文章が見つかっていないためです。読み解く手がかりを見つけたら、あなたが歴史の本を書き換えることになるかもしれません。

古代の数え方や暦は、今の時計やカレンダーの中に生きています。

図解3 つの古代文明

オリエント文明

  • メソポタミアとエジプトの大河
  • 乾燥地で、川の水を引いて農耕
  • 六十進法や暦が今に残る

インダス文明

  • インダス川の流域
  • モンスーンの影響を受ける
  • 文字は今も解読されていない

中華文明

  • 黄河と長江の流域
  • 殷・周の王朝が成立
  • 漢字のもとがこのころ現れる
黒い背景に並べて撮った、丸い粘土板の表と裏。表には正方形と対角線の線が刻まれ、くさび形の小さな記号が並んでいる
イェール大学が所蔵する旧バビロニア時代の粘土板「YBC 7289」の表と裏。正方形の対角線の上に、2 の平方根に近い値が 60 進法で刻まれています。写真: A. Urcia(CC0・Wikimedia Commons)

02

秦・漢と遊牧国家: 長城の向こうにも、大きな国があった

紀元前 221 年、秦の王・政は中国を統一し、始皇帝と名のりました。全国を郡と県に分けて役人を送り、度量衡(長さや重さの単位)や貨幣、車の幅までそろえています。その陵の近くで 1974 年に見つかったのが兵馬俑です。等身大の兵士の像は約 8000 体とされ、ユネスコは、像の姿が一つ一つ違うと紹介しています。

同じころ、北のモンゴル高原では、遊牧民の匈奴が大きな国をつくっていました。紀元前 200 年、漢の高祖は自ら大軍を率いて匈奴と戦いましたが、白登山で 7 日間囲まれてしまいます。高祖は和を求め、漢はしばらく、匈奴と争わずに結ぶ和親の道を選びました。

ユネスコは、万里の長城を、農耕の文明と遊牧の文明がぶつかり、また交わった証しだと説明しています。長城は紀元前 3 世紀から 17 世紀まで築き続けられました。甘粛省には漢の時代に土を突き固めた長城が、ほかの地域には明の時代の石積みの長城が残っています。長城は、守りの壁であると同時に、人と物が行き来する境目でもあったのです。

長城の両側から見ると、ぶつかり合いと行き来の両方が見えてきます。

図解農耕の国と遊牧の国

秦・漢(農耕)

  • 畑を耕し、町や村に住む
  • 皇帝が役人を送って治める
  • 北の守りに長城を築く

匈奴(遊牧)

  • 家畜を連れて草原を移動
  • 馬に乗って戦うのが得意
  • 前 200 年、漢の高祖を囲む
大きな屋根の下の長い坑に、土色の兵士の像が何列にもわたって並んでいる様子
中国・西安の近くにある兵馬俑の 1 号坑。始皇帝の陵のまわりに埋められた像で、1987 年に世界遺産に登録されました。写真: Will Clayton(CC BY 2.0・Wikimedia Commons)

03

仏教とヒンドゥー教: 最初は、ブッダの姿を彫らなかった

南アジアで生まれた仏教は、紀元前 3 世紀のアショーカ王のころ、インドの広い地域に広まりました。インド中部のサーンチーには、王のころに始まる仏教の遺跡が残り、1989 年に世界遺産になっています。ユネスコによると、ここの彫刻は、ブッダの姿を人の形で表さず、しるしで示す初期の美術の代表です。

ブッダの像が作られ始めたのは、紀元後 100 年ごろとされます。それまでは、菩提樹や足跡、法輪などで、ブッダがそこにいることを示していました。ギリシア彫刻の影響を受けた北西インドのガンダーラの様式は、中央アジアから中国、朝鮮を通って日本にも届いています。日本の仏像をさかのぼると、ギリシアの彫刻にまでつながるのです。

インドでは、やがて仏教はヒンドゥー教に吸収されて衰えていきました。一方、インドの宗教と文化は海を渡り、東南アジアに広がります。カンボジアのアンコール・ワットは、12 世紀前半にヒンドゥー教のヴィシュヌ神の寺院として建てられ、のちに仏教の寺院になりました。

東南アジアの人々は、南アジアや東アジアの影響を受けながら、海の交易の広がりとともに港町をつくり、国を生み出しました。解説も、このことを扱うとしています。アンコール・ワットの回廊の壁には、インドの叙事詩『マハーバーラタ』や『ラーマーヤナ』の場面が、細かな浮き彫りで刻まれています。

宗教の広がりをたどると、遠く離れた地域どうしのつながりが見えてきます。

図解ブッダの像が日本に届くまで

  1. 1しるしで表す菩提樹や足跡でブッダを示す
  2. 2ガンダーラ100 年ごろ、仏像が作られ始める
  3. 3中央アジア・中国西域を通って中国へ伝わる
  4. 4朝鮮から日本へ朝鮮を通り、日本にも届く
芝生と石畳の向こうに、半球形の大きな仏塔と、彫刻で飾られた石の門が立っている
インド中部、サーンチーの大きな仏塔と西の門(トーラナ)。サーンチーの彫刻には、ブッダの姿を人の形で表さない初期の仏教美術が見られます。写真: Bernard Gagnon(CC BY-SA 3.0・Wikimedia Commons)

04

キリスト教とイスラーム: 日曜日の休みは、ローマ帝国から

西アジアと地中海のまわりでは、ローマ帝国の中でキリスト教が生まれ、広がりました。7 世紀にはアラビア半島でイスラームが成立します。世界史探究では、この 2 つの宗教と、それを土台にした国のなりたちを学びます。宗教は、人々の暮らしのリズムも形づくってきました。

国立天文台の暦 Wiki によると、321 年、ローマ皇帝コンスタンティヌスは、日曜日を仕事を休む日とする勅令を出しました。ユダヤ教では土曜日、イスラームでは金曜日が大切な日とされています。日本で日曜日が休みと定められたのは明治 9 年(1876 年)の 4 月で、それまでは 1 と 6 のつく日が休みでした。

曜日のリズムは、変えようとしても簡単には変わりません。1929 年、ソビエト連邦は、5 日や 6 日で 1 週とする暦を始め、工場を休まず動かそうとしました。しかし、家族や友人と休みが合わないといった不満が続き、1940 年に 7 日の週に戻しています。

曜日の名前も、シルクロードを通ってやって来ました。平安時代に空海が伝えた『宿曜経』には、曜日の名前が中央アジアのソグド語などでも書かれています。日曜日を「蜜」と書くことがあるのは、ソグド語で日曜日を表す「ミール」の音を写したものです。カレンダーの 1 行にも、ユーラシアの交流の跡が残っているのです。

曜日や休みのような当たり前の習慣にも、宗教と交流の歴史が刻まれています。

図解1 週間と休日の来た道

1 週間と休日
  • ユダヤ教土曜日を大切な日とする
  • 321 年 ローマ皇帝が日曜日を休む日に
  • イスラーム金曜日を大切な日とする
  • 宿曜経ソグド語などの曜日名を伝える
  • 明治 9 年 日本日曜が休み、土曜は半日に
  • 1929 年 ソ連5 日の週を試し、のちに戻す

05

資料で考える: アンコール・ワットに残る、日本人の墨書き

アンコール・ワットの回廊には、江戸時代の初めの日本人の墨書きが 14 か所残っています。年代は 1612 年から 1632 年までです。その一人、森本右近太夫一房は、父の供養のために仏像 4 体を納めたと書き残しました。

もう一つの資料が、水戸の彰考館に伝わる「祇園精舎」の絵図面です。日本大百科全書によると、この図はアンコール・ワットの実測図とほぼ一致します。当時の日本人は、ここを仏教の聖地、祇園精舎だと考えていたようです。2 つの資料を並べると、「日本人は何のためにカンボジアまで行ったのか」「なぜここを祇園精舎だと考えたのか」という問いが生まれます。年表と地図を開いて、根拠を探してみてください。

つまずきやすいのは、カタカナの名前と年号を覚えるだけになることです。解説も、地域ごとの政治の出来事を並べるだけにせず、人々の暮らしや宗教、交通や物産に目を向けるよう求めています。秦・漢と同じ時代の地中海のように、同じ時代の地域を横に並べると、つながりと因果が見えてきます。

大学では、史学科の東洋史・西洋史や、考古学、宗教学、美術史などで、この続きを学びます。多くの大学では、漢文や古代の言葉で書かれた原典、発掘の報告書を読み、自分の問いを確かめていきます。

クイズ諸地域の成り立ちクイズ

本文を思い出しながら答えてください。

  1. Q1時間や角度の「60 分」「60 秒」のもとになったとされる数え方を使っていたのは?

  2. Q2アンコール・ワットは、はじめ何の寺院として建てられた?

  3. Q31929 年にソビエト連邦が始めた暦では、1 週は何日だった?

0 / 3 問に回答

高校生のうちに試せること

  • 世界遺産のサイトで古代の遺跡を調べる

    教科書に出てくる古代の遺跡を 3 つ選び、ユネスコ世界遺産センターのサイトで、いつ、何のために造られたかを調べましょう。英語のページですが、最初の要約(Brief synthesis)を翻訳しながら読むだけでも十分です。

    ユネスコ世界遺産センター「World Heritage List」
  • 曜日の名前の由来を調べる

    国立天文台の暦 Wiki で、曜日の名前と星や神の名前の関係を調べましょう。英語やフランス語の曜日名と比べると、ローマやゲルマンの神々、キリスト教の名残が見つかります。

    国立天文台 暦Wiki「曜日の名前」
  • 身の回りの「60」を探す

    時計や角度のほかに、60 や 12 で区切られているものを身の回りから探しましょう。60 は 1、2、3、4、5、6、10、12、15、20、30、60 の 12 個の数で割り切れます。古代の人がなぜ 60 を使ったのか、割り算のしやすさから考えてみてください。

「諸地域の成り立ち」に関連するコミュニティ

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よくある質問

古代の話は、今の暮らしに関係がありますか?

あります。時間や角度の 60 進法、日曜日の休み、日本の仏像の様式など、この分野で学ぶことは今の暮らしの中に残っています。身の回りの「当たり前」が、いつ、どこから来たのかを考える入り口になります。

宗教の話が難しそうです。信仰がなくても学べますか?

学べます。世界史探究で学ぶのは、宗教を信じることではなく、宗教が国のしくみや人々の暮らし、文化にどう関わってきたかです。学習指導要領の解説も、国家と宗教の関係や、宗教が暮らしに与えた影響に目を向けるよう求めています。