図 1 国語の広がり国語の広がり 2
文学を味わう
小説・詩歌・随筆・脚本などの文学的な文章を読み、表現を味わう領域です。誰が語っているか、季語や切れ字が何を伝えるかに目を向けると、同じ作品が何通りにも読めるようになります。

ひとことで言うと
同じ試合を、別のカメラで見る
スポーツ中継では、選手の目線のカメラと、スタンドから全体を映すカメラで、同じ場面の見え方が変わります。小説も、誰の目で語るかで見えるものが変わります。語り手や言葉の選び方に気づくと、作品の楽しみ方が何倍にも広がります。

01
語り手: 『こころ』の「私」は途中で入れかわる
小説や詩歌を中心に読む選択科目が「文学国語」です。標準は 4 単位です。学習指導要領は「読むこと」に 100〜110 単位時間程度、「書くこと」に 30〜40 単位時間程度を充てるとしています。教材は近代以降の文学的な文章です。
文学国語では、語り手の視点に注目します。夏目漱石の『こころ』は、1914 年に朝日新聞に連載された小説で、上・中・下の 3 部でできています。上「先生と私」は「私はその人を常に先生と呼んでいた」と始まり、若い「私」が先生との出会いを語ります。
ところが下「先生と遺書」に入ると、語り手が入れかわります。下は、先生が「私」にあてて書いた長い手紙です。ここで「私」と名乗っているのは先生です。同じ「私」という言葉で、別の人物が語っているのです。どこで語り手が変わるかを確かめると、先生の過去が本人の言葉で明かされていく仕掛けが見えてきます。
語り手が「いつ」語っているかも手がかりです。上の冒頭には「だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない」とあります。「私」は、先生との日々を後から振り返って書いているのです。なぜ本名を明かさないのか、という問いが、読み手を先へ引っぱっていきます。
誰が、誰に向けて語っているかを確かめると、物語の仕掛けが見えてきます。
図解『こころ』の 2 人の「私」
上・中の「私」
- 語り手は若い学生
- 先生と出会い、近づいていく
- 先生を外から見ている
下の「私」
- 語り手は先生
- 学生にあてた長い手紙
- 自分の過去を内から語る


02
俳句: 「古池や」の「や」と、春の蛙
俳句は、5・7・5 の 17 音に季節の言葉を詠み込む短い詩です。松尾芭蕉の「古池や蛙飛こむ水のおと」は、1686 年の春、江戸・深川の芭蕉庵で開かれた、「蛙」を題にした句合の席で詠まれました。2026 年は、この句が詠まれてから 340 年にあたります。
季節を表す言葉を季語と呼びます。「蛙(かわず)」は春の季語です。夏の生き物と思っていた人も多いかもしれません。句の途中や終わりで意味をいったん切る「や」「かな」「けり」などは、切れ字と呼ばれます。
この句の最初の 5 音は、すぐには決まらなかったと伝えられています。弟子の支考が書いた『葛の松原』によると、弟子の其角は「山吹」を置いてはどうかと勧めました。山吹と蛙は、和歌で昔から一緒に詠まれてきた組み合わせです。芭蕉が選んだのは「古池」でした。
読み方も 1 つではありません。蛙は 1 匹なのか、何匹もいるのか。小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、1898 年の本でこの句を英訳しました。訳は Old pond--frogs jumping in--sound of water. で、蛙を複数にしています。切れ字の「や」があるので、古池と水の音は別々の景色だと読む説もあります。
季語と切れ字を手がかりにすると、17 音の奥に広がる景色が読み取れます。
図解「古池や」の句ができるまで
- 11686 年の春深川の芭蕉庵で「蛙」を題に句合
- 2最初の 5 音「蛙飛こむ水のおと」に何を置くか
- 3其角の案「山吹」はどうかと勧める
- 4芭蕉の決定「古池や」と置いて句が完成


03
短歌: 句切れで、心の動きをつかむ
短歌は 5・7・5・7・7 の 31 音の詩です。意味や調子が途中で切れるところを句切れと呼び、どこで切れるかで歌の印象が変わります。
若山牧水の「白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」は、教科書にも多く採られている歌です。2 句目の「哀しからずや」(哀しくはないのだろうか)で文がいったん切れる、二句切れの歌です。前半で白い鳥に問いかけ、後半で空の青にも海の青にも染まらずに漂う姿を描きます。
歌人の俵万智さんは、牧水がこの歌を詠んだのは 22 歳のころだと紹介しています。どこで切れるかを声に出して確かめると、問いかけと情景のどちらに重みがあるのかが分かってきます。
読むだけでなく、つくる学習もあります。全員が学ぶ「言語文化」では、本歌取りや折句などの技法を使って、感じたことを短歌や俳句で表す活動が例に挙げられています。
句切れを見つけると、歌の中の問いかけと情景の関係が見えてきます。
図解「白鳥は」の歌を句切れで読む
- 15・7・5・7・7 に区切って声に出す
- 22 句目の「哀しからずや」で文が切れる
- 3前半は鳥への問いかけ、後半は情景

04
随筆と書き換え: 6 尺の布団から世界を書く
随筆は、筆者が見聞きしたことや考えたことを、自由な形で書いた文章です。文学国語では、小説や詩歌、脚本と並んで随筆も読みます。
正岡子規の『病牀六尺』は、1902 年 5 月 5 日から 9 月 17 日まで、新聞「日本」に連載された随筆です。病気で布団の外へ足を伸ばすこともできなかった子規は、第 1 回を「病床六尺、これが我世界である」と書き始めました。6 尺は約 1.8 m です。
それでも話題は、布団の外へ広がっていきます。第 1 回では土佐の小さな島の学校を、第 2 回では猟の話を取り上げています。連載は 127 回まで続き、子規は最後の回の 2 日後、9 月 19 日に亡くなりました。狭い場所からでも、世界は書けることを教えてくれる作品です。
文学国語には、読んだ作品を別の形に書き換える活動もあります。学習指導要領は、小説を脚本や絵本などの別の形式に書き換える活動を例に挙げています。人物や情景、心情をどう読んだかを、せりふやト書き、絵で表し直すのです。
随筆は、筆者の身の回りから広がるものの見方と感じ方を味わう文章です。
図解文学国語で読む・書くもの
- 小説語り手と場面の設定
- 詩歌季語・切れ字・句切れ
- 随筆筆者のものの見方と感じ方
- 脚本せりふとト書き
- 書き換え小説を脚本や絵本に


05
大学では: 1 つの作品を何通りにも読む
文学国語の解説は、文章の構成や表現の仕方をふまえて、解釈の多様性について考えることを求めています。「古池や」の蛙は 1 匹か何匹か、という問いもその 1 つです。本文から根拠を示せれば、違う読みも成り立つのが文学の面白さです。
大学の文学部では、作品を原文で読み、これまでの研究を調べ、自分の読みを論文にまとめます。国語の先生をめざす人、出版社や広告の仕事で言葉を扱う人も、こうした読み方を土台にしています。
本を読むのが遅くても大丈夫です。俳句や短歌なら、1 つを数分で読めます。好きな 1 句について「なぜそう読めるか」を言葉にすることから始めてください。
高校生のうちに試せること
江東区芭蕉記念館の企画展をのぞく
東京都江東区の芭蕉記念館では、「古池や」の句の吟詠 340 年を記念した企画展を、2026 年 12 月 13 日まで開いています。行けない人も、公式サイトで展示の案内を読み、句が詠まれた深川の様子を想像してみましょう。
江東区芭蕉記念館『こころ』の語り手が変わる所を読む
青空文庫で『こころ』を開き、上の最初の章と、下の最初の章を読み比べましょう。同じ「私」でも、言葉づかいや話しかける相手がどう違うかを書き出すと、語り手の入れかわりがはっきり分かります。
青空文庫「こころ」自分の「六尺」の随筆を書く
自分の机やベッドの周りなど、半径 2 m ほどの場所を 1 つ決めましょう。そこから見えるもの・聞こえるものだけで、400 字の随筆を書きます。読み返して、何を書かずに残したかを考えると、随筆の味わいが分かってきます。
季語を 1 つ選んで一句つくる
歳時記や国語辞典で、今の季節の季語を 1 つ選びましょう。「や」「かな」などの切れ字を 1 つ使って 5・7・5 にまとめ、友達と読み合って、どこで切れて読めたかを話し合います。
「文学を味わう」に関連するコミュニティ
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よくある質問
小説の「正しい読み方」は、1 つに決まっているのですか?
1 つには決まりません。文学国語の解説も、解釈の多様性について考えることを求めています。ただし、どんな読みにも本文の根拠が必要です。「この言葉があるから、こう読める」と示せるかどうかが大切です。
俳句や短歌を、自分でつくる授業もありますか?
あります。全員が学ぶ「言語文化」では、本歌取りや折句を使って短歌や俳句をつくる活動が例に挙げられています。解説は、うまさを競うことが目的ではなく、つくることを通して言葉の文化への理解を深めることが大切だとしています。
